100台のIBM/Lenovoマシン(2)

 今までに入手したコンピューターは2010年4月現在でおよそ300台。入手したコンピューターの多くに思い出があります。今回は私とIBM/Lenovoマシンにまつわる思い出を何回かに分けて書いてみようかと思います。第2回は2002年から2003年にかけてのお話です。


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【はじめに】
・機種名に併記されている「#130」などの文字は通算入手台数を表します。入手マシン及び台数の完全なリストは こちら をご参照ください。
・機種名に併記されている日付は、手元にマシンがやってきた日になります。購入日とは異なる場合があります。
・このお話に登場する機種のハードウェアスペックや販売時期などは私の記憶に基づいており、私の記憶違いや事実誤認による誤りも含まれている可能性があります。
■通称『江戸川中央データセンター』の時代(東京都江戸川区在住:2002-2009)
 会社の帰りにアキバに寄って、友人たちとコンピューターの話題で盛り上がるのが楽しい毎日だった。
 ある時は公園で、ある時は自販機の前で、ある時はいつもの喫茶店で、自慢のマシンの品評会をしたり、部品情報を交換したり、改造の失敗談をネタにしたり、オフラインならではの楽しい時間を過ごした。これまでアキバから遠い場所に住んでいたのがアキバから近く交通の便のよいところに引っ越したので、友人が家によく遊びにきてくれるようになったのもうれしかった。
 その半面、仕事への不満は日に日に募るばかりだった。
#207 02/11/30 IBM ThinkPad 235 2607-20J

 Claviusのポテンシャルに感動した私は、何が何でもIBM版Clavius、ThinkPad 235が欲しくなり、オークションでワンオーナー品の非常に状態の良い無改造機体を入手することができた。
 その時のレビュー記事はこちら。
 「珠玉の名機たち」連載 第二回◆IBM ThinkPad 235 2607-20J Product Review.
 高性能で小型なThinkPadはThinkPad is30があったが、235はis30とは違った魅力がありとても気に入った。状態が良いので、HDDを交換する以外はハンダごてを入れるなどの改造を行わず、そのまま使った。WorkPad c3の母艦にもしたし、IBM製パラレルスキャナも接続した。MS Visual InterDevを入れて開発もやった。もっとも標準でMMX266MHzなのでクロックアップもする必要はなかった。この機械は両国に引っ越してきた際に一緒に持ってきたが、日立版Clavius同様ほぼ死蔵状態だったので、有効利用してくれる方にお譲りした。
 ThinkPad 235に関しては上記レビューで色々書きなぐったが、このマシンに関してはいくらでも話せるほど愛着がある。
 ChandraはThinkPadラインになれず、ようやくThinkPadラインになれたClaviusもそれほど長く販売はされていなかったように記憶している。ThinkPad 235はThinkPadの他のラインのように頑丈かと言われると素直に首を縦に振ることは出来ないものの、先代Chadraより格段に強化されたClavius、そして漆黒のケースをまとったThinkPad 235はユーザーの望みを叶えてくれた。開発していたRIOS SYSTEMSはThinkPad 235の販売が終わった後に解散してしまった。当時のRIOS SYSTEMSには後継となる「Chandra3」のプロトタイプが存在していたという話を後になって耳にした。
 Chandraに関して解説されている書籍は雑誌を除くと皆無に近い。現存する書籍の中では「All about ThinkPad 1991-1998」の235ページに記述されているものくらいしか知らない。
 ThinkPadユーザー必携の書籍でもあり聖書でもある「All about ThinkPad 1991-1998」は発売時に友人から「これを持っていないようじゃThinkPadユーザーとしてはモグリだな」と言われて今は亡きLAOXザコンで購入した。この類の書籍はファンには需要があると思うので、新しくファンになった若いユーザーたちのためにもぜひとも続編を出してほしい。
 ちなみにこの書籍の494ページには熱気流解析ワークステーションとしてIBM RS/6000 Model140の一部が写っている。
#208 02/12/10 IBM ThinkPad 770Z 9549-8AU

 DEC HiNote Ultra 2000と肩を並べる超ハイエンド機種、それがThinkPad 770シリーズだった。ThinkPad is30を購入してから、メインマシンになりうる高性能なノートが欲しくなった。そうなるとそのフラグシップの770シリーズは外せない。770の最上位は国内未発売の770Z。私はオークションで激しい競り合いをして770Zを落札した。770はSXGAで広い画面を持っており、DVDドライブを内蔵していた。メモリー上限値はオンボード64MB+増設128MB x2で320MBが公称値であったが、両面16チップ実装の256MBを使うとオンボードの64MBが無効になる(BIOSでは一応576MB見える)ものの、非公式ながら512MBで使用可能だった。私はもちろん512MB化した。そしてなによりもノートPCらしくない十分なキーストロークを持った英語キーボードが気に入った。PentiumII-366MHzとThinkPad is30より低いCPUスペックもその他の機能のおかげでまったく気にならなかった。

 770Zは強化に強化を重ね、セレクタベース770と本体より大きなセレクタドックIIIを入手し、デスクトップマシンとなった。770Zの下に敷いてある黒い箱がセレクタドックIII、770ZとセレクタドックIIIの間にはセレクタベース770が挟まっている。PCIバスも複数使用可能になったのをいいことに、高性能オーディオカードRME Digi96/8PADや高電圧差動型(HVD)SCSIカードを実装してSunの外付けストレージを接続したりした。テレビも接続してDVDを見るようにもなった。
 しばらく使った後に後述のThinkPad A22pを購入したため、770Zは動態保存することにしたが、結局生活苦の際に泣く泣く売ってしまった。これもまた購入したのは今の会社の社長であった。
#209 2003/2/11 IBM RS/6000 Note 7249-860

 PowerPCを搭載したThinkPad 800シリーズは最後にRS/6000 Noteとして独立した。CD-ROMの代わりに増設HDDが内蔵されており、CD-ROMは本体背面のSCSIコネクターにSCSI外付けCD-ROMを接続する形で使用した。OSはAIXで使用していたが、WindowsNTも動作したがNT/PPCは役に立たないことを以前に43P-133で確認しているのでAIXで使った。キーボードを上にはね上げるとThinkPad 760LDのように内部にアクセスできる「弁当箱スタイル」だった。メモリーはパリティ付きの専用DRAMカードという特殊なもので他のThinkPadで使われたDRAMカードが使えず増設に難儀するタイプだった。ACアダプターは台形4ピンのもの。友人のIBMの人に見せたら非常に感動していた思い出がある。
 この機種は私の所有物ではなく、友人からの長期貸与品であった。5年ほど使った2008年頃に貸与元の友人から返却要請があったので返却した。とても珍しい機種であった。
#210 03/02/27 IBM ThinkPad 360Cs 2620-2JD

 友人のIBMの方から譲っていただいたもの。ThinkPad 755シリーズがベースの廉価モデル。古きよき時代のThinkPadが懐かしかったので、不足部品を補ってWindows3.1を入れて遊んだ。筐体は廉価モデルらしくコストダウンの影響を色濃く反映しているが、ThinkPadとしてあるべき姿をしっかり残している。一時期中古で多く見かけた。
 Intel 486SX 33MHzを搭載。メモリーは4MB(32MBの専用DRAMカードで最大36MBまで増設可能)、DSTN液晶、HDDは755と同じEIDE対応のHDDパックが使用できる。ACアダプターは台形4ピンタイプのもの。キーボードをはね上げて内部ドライブにアクセスできる「弁当箱スタイル」の機種でもある。
 この頃はジャンク屋の軒先に古いノートを分解したフラットケーブルやらコネクターやらマウンターやらがコンテナに入れられて格安で売られていたので、オークションに頼らずともニッチな部品の入手が容易だった。
 その後起動できなくなり2009年9月の引越の際に処分。
#211 03/03/15 IBM ThinkPad A22p 2629-U1J

 デスマーチ中の徹夜明けにおかしくなって中古を通販で購入。15万円くらいで買った。液晶はUXGA。A22pを購入してからメインノートはA4サイズ以上のThinkPadでUXGA以上の解像度が出ないと買わないという非常に敷居の高いポリシーを自分で作り上げてしまった。A22pはPentiumIII-1GHz、512MBのメモリーを搭載。ウルトラベイ2000ドライブはDVDコンボドライブに交換、ThinkPad Dock IIIを購入し、PC DOCKでUSキーボードに交換した。カタログスペックは立派だったが、筐体の作りが異様に安っぽくてかなり落胆した。またキーボードもキーがぐらついたり指が引っかかったり、タッチタイプがしにくかったりと不満も多かった。日本語キーボードもUSキーボードも両方ともキータッチが最悪だった。
 この機種はMini-PCIカードで機能を変更できた。標準実装はIntel 100Mps LANカード。モデム機能はない。筐体にはRJ-11ポートがあるので、純正LAN/モデムコンボカードをジャンク屋で見つけてきて挿した。別ThinkPad用無線LANのMiniPCIカードも認識したがアンテナが通っていないため感度が悪かったのと、法規上問題がありそうだったのでテストだけして使うのをやめた。
 A22pはかなりの大型機種だった。当時は若かったせいもありLinuxを入れて持ち歩いて通勤していた。その昔HiNote Ultra 2000を蘇我から新宿まで持って通勤していたことを考えれば、新小岩から新宿までなどどうってことはない。
 悲惨なアプリ開発が続く2003年12月。私は突然激しい腹痛と発熱に襲われ、一気に食欲を失った。この症状には覚えがある。腹部で炎症が起こったときと同じだ。腹部を押して離した瞬間激痛が走った。その時、私は自分の腹がまた炎症を起こしたことを確信した。
 病院に行って検査したところ、急性腸炎であることが発覚。最悪の場合は手術が必要になる可能性もあるため、手術設備のある病院を紹介してもらい緊急入院することになった。その時に持っていたのがLinuxしか入っていないこのThinkPad A22p。病院内ではAir-Hが使われることが許された。今まではLinuxで出来ないことはWindowsに頼っていた自分は、もうLinuxだけですべてどうにかするしかない状況になった。幸いAir-Hは既にLinuxで使えるようにしてある。インターネットの情報のみを便りに、闘病とともに後には引けないLinuxの実戦機能評価が始まった。
 入院中はLinux搭載のこのA22pを通じて、ネット上で知り合った友人にとてもお世話になった。Linuxのわからないことを教わったり、秋葉原にいけない私を案じて秋葉原のメイド喫茶のスク水イベントの状況をメールでリアルタイムで教えてくれた人もいた。友人たちがこぞってお見舞いにきてくれたこともあった。病院でフラグが立ったりいろいろあったが、体は完治。病院のPCのメンテナンスで仲良くなった副院長と看護婦、看護実習生のみんなに見送られて退院した。
 私のA22pは後継で購入したThinkPad R50pとしばらく併用していたが、R50pのLinux環境が整った後にA22pは引退した。その後Windowsゲーム専用マシンを経てドックや強化パーツと一緒に最終的にオークションで売ってしまった。
#212 03/03/25 IBM ThinkPad330Cs 5523-JBW

 友人からもらった黒くない「異色」なThinkPad(最前列左端)。プロセッサーはIBM 486SLC2-50MHz。バッテリーは内蔵せずそのかわりACアダプター内蔵、トラックポイントもない。ついでに言うとメモリーも8MB固定でDRAMカードによる増設はできない。ディスクはEIDE非対応の170MB(しかもパック式の内ネジ!)。液晶は反射のひどいDSTNで視認性はよいとはいえなかった(あとからTFT液晶の330Cが登場)。そういう制約がありながらWindows3.1を入れて使って遊んでいた。
 黒くないだけなくThinkPad独特の角張った直線的なデザインではなく全体的に丸みを帯びた外観で、当時一般的だった他社のオフホワイト筐体のノートPCを彷彿させる。黒くないThinkPadへの挑戦はこの時には製品として始まっており、その後ThinkPad iSeriesでも試みられ、現在のX100eやEdgeシリーズでも黒くないThinkPadが製品化されている。ただ、iSeriesまでにおける黒くないThinkPadは打ち止めになっており、黒くないThinkPadの存在意義に関しては未だ個人的に疑問を感じてはいる。
 ある時、私の弟夫婦の家でワープロが欲しいというので要件を聞いたところ、印刷は必要なくて文字が打ててFDにデータが保存できればいいとのことだったので、この330Csにマウスと新品未開封のWin3.1+MS-Worksを添付して譲った。
#213 03/04/19 IBM RS/6000 Model150 [PPC604e-375MHz]

 秋葉原の裏通りのジャンク屋に黒いRS/6000が売られていると友人からの連絡を受けて緊急スクランブルして捕獲。当時まだ各所で現役で使われているこの機種がこの値段でいいのかと店員に聞くと「チェックできないし内蔵DDS4のドライブの値段でしか価値がつけられない」と逆に不服そうだった。私はすぐに購入してそばの公園で筐体のカバーを外した。メモリーとHDDが抜かれている以外はすべて揃っていた。
 CPUはPowerPC 604eの375MHz。RS/6000シリーズの中では最も高速な604eプロセッサーを搭載している。メモリーは256MB×4で上限1GB。その辺で売られているPC100のレジスタ付きSDRAMが流用できる。PC133や一枚512MBのメモリーは認識できない。HDDも普通のUltraWide SCSIディスクが使用可能。私は早速AIXを入れてModel140を引退させた。
 Model150はこの後何台か入手して使用したが、後に兄弟マシンのラックマウントモデル、RS/6000 B50で置き換えるまで使った。この機体は江戸川中央から両国に引っ越す際に処分した。6年以上にもわたって活躍した思い入れのある機械だった。
#219 03/06/01 IBM RS/6000 Model260 [POWER3-200MHz 2way]
#220 03/06/06 IBM RS/6000 Model260 [POWER3-200MHz 2way]

 秋葉原のUnixサーバーの店で安く入荷したのを見つけて2台とも取りおきした。一台は今の社長が欲しいと言ったので原価で譲った。64-bit IBM POWER3 200MHzを2つ搭載したSMPマシンであり、初めての64-bit POWER搭載マシンとなった。グラフィックワークステーション用途だったらしく、ビデオカードにPowerGXT 3000Pとか無駄にハイスペックなものが搭載されていた。私は基本的にRS/6000を使うときはビデオカードを使わずシリアル端末を使うヒトなので、ビデオカードはどうでもよかった。AIX5Lの64-bit検証環境として非常に役に立った。江戸川中央から両国に引っ越す際に処分した。
#221 03/06/08 IBM ThinkPad iSeries s30 2639-43J

 2台目のis30。1台目が気に入ったから購入したがあまり使わなかったので友人に売却。
#223 03/06/08 IBM IntelliStation E Pro 6893-92J

 CPU、メモリー、拡張カードが抜かれた状態で安く売られていたので余った部品で再生。友人にあげてしまった。
#225 03/07/06 IBM ThinkPad 240

 一時期持っていた。どういう経緯で入手したのか、その後どこにいったのか覚えていない。借り物だったかもしれない。
 ThinkPad 240は小型で可搬性に優れたマシンであることは評価したい。ただ、このマシンのもっともよくないところは、キービッチ幅にこだわった結果、伝統の7段配列を廃してしまったところにある。後に登場したThinkPad s30/is30は「耳」が生えたが7段配列を守った。未だに240のキー配列は本当に惜しかったと思っている。
 ちなみに240のモデルナンバーは2609。ThinkPad 235のモデルナンバーは2607。この2機種を埋めるモデルナンバー「2608」を持った機種が存在する。日本未発売のIBM WorkPad z50である。WorkPadを名乗ってはいるが、OSはPalmOSではなくWindowsCEを搭載していた。ハンドヘルドPCのWorkPad z50は液晶が小型なものの、外見はほぼ240と同じである。240はz50の設計の一部を流用して生まれた機種であろうか。
#226 03/07/13 IBM RS/6000 Model150 [PPC604e-375MHz]
#263 05/04/23 IBM RS/6000 7043-150

 Model150は便利なのでよく購入して使用した。後にとある事業所がRS/6000 SPを処分するというので、分解して持ってきた拡張カードで固めてHACMPを構築した。仕事の検証環境として使ったあと、両方とも同業者の友人に譲った。
#230 03/08/11 IBM ThinkPad 310 2600-30J

 IBM社員の友人からOS/2 Warp4ごと譲ってもらった。7段キーボードではない亜流のThinkPad。本流のThinkPadに比べるといろいろと作りがアレなところが多かった。BIOS画面もIBMらしさがまったく感じられない別物。CPUはデスクトップ用のままがそのままソケットに実装されていたので、K6-IIIを搭載して使った。メモリーは入手の面倒くさいEDO-SODIMM。キー配列が気に入らなかったので結局お蔵入、両国へ引越する際に処分した。なお私がよく使用しているOS/2の壁紙はこのマシンからとったもの。
 この時期、IA-64プロセッサーのItanium2が搭載されたhp workstation zx2000を新品で2台買う。またそのあとしばらくしてから初代Itaniumを2個搭載するhp workstation i2000も買う。
 ある人物が2ちゃんねるでこの件に関連して私を叩く発言をしていたが、その本人から自分が書き込んだと直々にメールがありその人物を知って非常にがっかりした。その人物は学も教養も技術もある私の知人であったのだ。なぜあのような発言をしたのかはあえて追求しなかったが、世の中にはこういった器の小さなさもしい人間もいるものだなあと極めて残念に思った。
#— 03/08/?? ThinkPad Mosquito

 10周年記念に作られたThinkPad 701Cのミニチュアプラモデル。701C/Csが「バタフライ」と呼ばれていたのに対して、このミニチュアプラモデルは「モスキート」。
 10周年記念のときに入手し損ねて諦めていたところ、友人のIBM社員に言ったら持ってきてくれたものだったと記憶している。
#231 03/08/26 IBM ThinkPad 600 2645-85J

 一時期持っていた。どういう経緯で入手したのか、その後どこにいったのか覚えていない。この頃は時々精神がおかしくなり始め、辛いことをはじめ一部記憶がない。
#233 03/08/31 IBM ThinkPad 600X 2645-4EJ

 通算231台目のPCであるThinkPad 600を入手したあとに最上位モデルの600Xが欲しくなり、オークションで競り勝った物。
 PentiumIII-500MHz、メモリー576MB、13インチ液晶。高級感あふれる塗装、そして今まで使ってきたThinkPadの中で最も打鍵感の良好なUSキーボード。ドッキングステーションも併せて購入し、Linuxを入れて酷使した。パームレストは高級感あふれるラバー塗装。手触りはよかったが塗装がはげてボロボロになるという特徴もあった。筐体を薄く見せるためにエッジを斜めにカットする現代のThinkPadに通じる意匠も600シリーズが始めてだったような気がする(姉妹機のThinkPad 570シリーズも同様にエッジが斜めにカットされているが600シリーズの方が発表が早かった)。剛性を持たせるためにマグネシウム合金を使うようになったのもこの600シリーズからだったと記憶している。600XのCPUはMMC-2というパッケージで交換が簡単にできる。ただ、MMC-2対応のCPUパッケージは一般に流通していないので入手が非常に難しかった。私はたまたま秋葉原でMMC-2のPentiumIII-750MHzを入手できたので600Xに搭載しようとしたが、この600Xは後の入院費用に充てるために売って換金してしまった。今考えると非常に惜しいことをしたと後悔している。
 この後も数多くのThinkPadを購入しているが、未だにこのThinkPad 600Xを超える打鍵感を備えたモデルには出会えていない。この作りを保ったまま600シリーズが現代に生まれ変わったら、私はそれが50万円を超える価格であっても喜んで買うと断言する。
#235 03/10/04 IBM ThinkPad 570E 2644-6BA [TP-Cluster#1]
#236 03/10/25 IBM ThinkPad 570E 2644-6AE [TP-Cluster#2]

 ThinkPad is30は小型でバッテリーが長持ちするので持ち運びに重宝したが、その小型さ故にキー配列が一部特殊(チルダキーの位置)だったのと画面が小さくて少々使いづらい部分があったので、リアルモバイルのThinkPad 570シリーズの最上位モデル「570E」を購入した。PentiumIII-500MHz、メモリーは320MB。もちろんUSキーボード仕様。ウルトラベースにはDVDドライブを導入し、ドックも購入した。Linuxを入れて使っていたが、何を思ったか私はSCore(エスコアー)を導入して並列計算クラスターにしてしまい、もう一台570Eを買うハメになった。リアルモバイル用途の目的で買ったものが実験環境になってしまった本末転倒な機械だった。酷使した570Eは一台は友人でもある著名な女性ネットワーク技術者の元に、もう片方は古くから交友のある友人の元に里子にだされた。
#238 03/11/15 IBM ThinkPad 570E 2644-6AE

 先に購入した570Eが並列計算クラスターにになってしまいモバイル用途で使えなくなってしまったので急遽ヤフオクで落札。これ以上ないくらいの強化を行い、ウルトラベイのDVDはリージョンフリーのものを導入。写真にあるように専用ドックにつけてデスクトップの代用でも使用できた。is30の後継としてモバイル用途で約一年使用。後にX31を購入するまで使った。引退後は数少ないWindowsゲームマシンとして使用していたが、天板の上に物を落としてしまい液晶に黒い線が入るようになってしまった。たまたま行きつけのバーの主人が不調の無印570を使っており、この570Eは彼の570を再生するための部品取りマシンとして活躍した。部品を取られた後の570Eは処分するのも忍びなかったのでオブジェとして保存していたが、両国へ引越しをする際に泣く泣く処分した。
#— 03/12/– IBM ThinkPad-Cluster

 これがSCoreを導入したLinux並列計算クラスター。管理ノードはThinkPad A22p。液晶を閉じてあるのが後に登場するThinkPad R50p。ノード間通信は100Mイーサネット。並列計算クラスターとしての性能は推して察するべし。
#239 03/11/23 IBM RS/6000 Enterprise Server 7026-H70 [RS64-II 340MHz 4way]

 私のコネクションはさらに広がった。ある晩、ある業者の友人から電話があった。RS/6000 H70がラックであるんだが引き取らないかという話だった。H70は当時の仕事で関わっていたシステムの本番DBに使用されていた機械でまだ現役の機種だったので興味が沸いた。先方には現物を見せてくれと伝え、後日その業者に顔をだした。郊外の倉庫に案内された私はデータセンターのように機械が並ぶ倉庫で一本のIBMのラックに案内され、これを買わないかと言われた。スペックは仕事で関わっていた本番機よりもいい。RS/6000 H70専用ラックにH70が2台。どうやらコールドスタンバイで使用されていたものらしく新品に近かった。実際に稼働させてAIXを導入し、diagかけて問題ないことを確認。先方の販売条件は1本まるごとが条件。値段は良かったが、今の住居への搬入は不可能(数年後にIBMの42Uフルラックを搬入したので実は不可能ではなかった)だと判断し、交渉の末1台をラック1本分の値段で買うということで合意。H70はフォークリフトでラックから外されて江戸川中央まで運んだ。CPUはIBM RS64-II 340MHzプロセッサーが4個、メモリースロットは標準16スロットで最大32スロット。1GB標準実装だったが、別途増設メモリーボードを入手して4GBまで増設した。
 RS64プロセッサーシリーズはAS/400向けの「A30」プロセッサーに端を発し、それらのコードネームに「-star」の文字列が含まれていることが多いことからAS/400では「STARプロセッサー」とも呼ばれる。プロセッサーにはAS/400で使われる命令セットが存在しているが、当然のようにRS/6000でAIXを使う場合にはAS/400用命令セットは使われることはない。RS64プロセッサーはRS64-IVまで開発され、RS64-IVはマルチスレッディングを最初に実装したプロセッサーとなった(ただしその実装方法は後のPOWER5で実装されたSMTやIntelのハイパースレッディングとは異なる)。RS64シリーズは後のPOWER4の登場で整理統合されてその役目を終えた。
 話が脱線してしまった。
 家にH70を持ち帰った私はすぐに通電、起動をかけた。しかしPOSTエラー。どうやら電圧不足を示している。H70は200V専用のマシンだったことをそのとき思い出した。私はここで諦めずアパートの管理会社に200V工事を掛け合ってみたが断られた。工事料金を全部私が負担すると言ったにも関わらず、とにかく200V工事は不可能だと突っぱねられた。工事は簡単なのかもしれないが、持ち家ならいざ知らず借家である以上は管理会社がNOといったらNOであり、工事が簡単かどうか以前に私がどうこうできるような話ではない。
 H70はSV補完委員会の同人誌のネタで紹介した以外は全く活用できず、両国へ引越しするまでの6年間ずっと鉄くずとして江戸川中央に保管されていた。引越しの際に処分した。
 ほとんど鉄くず扱いだったにも関わらず、H70にまつわる話はいくらでも出てくるというのはおもしろい。
 ちなみにこの頃はいろんな業者からマシンの購入を持ちかけられ、大きな物だと DEC AlphaServer 8400 を買わないかという話もあった。
 それで思い出した。2003年春頃のIBMメインフレーム出品事件、あのときは実はおもしろいエピソードがあった。
03/05頃 IBM System/390 買いませんか事件
 2003年、ヤフオクにIBMのメインフレームが出品され、ネットで話題になったのをご存知だろうか。
【ネット】オークション至上最大!?IBMメインフレームS/390売ります ヤフオク
 これは私が務めていた職場でも多いに話題になり、友人のIBM社員に「入札してみてくださいよw」と言われていた。
 私はSystem/390もOS/390も知らないし、だいたい家に置ける訳がないのでスルーしていた。試しに家の管理会社に「あの、グランドピアノ3台分くらいの重量を持った家具を搬入したいんですけど、ダメですかね」と聞いたら速攻で「無理です。床に穴が空くので『絶対に』やめてください」と断わられたw
 このS/390は初回出品時どうなったか結末は知らない。
 ところが、再出品されたとき、思いがけないことが起こった。ネットで注目を浴びたこの出品物の出品者より、私に直接連絡があった。出品者は私のサイトを知っている人だった。出品者はこの製品に関していろいろ情報を提供してくださり、価格に関しても折り合いをつけてくれた。だが、私はこれが家に置けるようなものでないのを知っていたので、断わる気でいた。たまたまこの話を友人にはなしたところ、話が神展開に。
 友人にIBMメインフレーム全般を専門にやっている技術者集団や中の人がおり、この機械を使いたいという様々な人が集まった。部品調達ができるという知り合いの業者も動かすためにはどうすればよいかと集まってくれた。置き場所を提供してくれる方が集まった。工事やランニングコストを負担してくれるという神のような方が現れた。最初は与太話かと思ったら、私以外がかなり本気になっていて収拾がつかなくなり始めた。これはまずいと思い、計画をストップさせて、出品者の方と友人の皆様には丁重にお断りをさせていただいた。
 この話は今では笑い話になっているが、当時は笑えない(笑)事件だった。S/390のヤフオク出品の裏にはこういう小さな事件もあった。
 と、こう楽しくも騒がしい生活を送っている間に、劣悪な労働環境は私の心身を蝕み、とうとう2003年12月に急性腸炎で緊急入院。先に書いたように病院にThinkPad A22pを持ち込み、生活の中心をなすPCのOSが完全にLinuxに移行することとなる。