100台のIBM/Lenovoマシン(1)

 今までに入手したコンピューターは2010年4月現在でおよそ300台。入手したコンピューターの多くに思い出があります。今回は私とIBM/Lenovoマシンにまつわる思い出を何回かに分けて書いてみようかと思います。第1回は1996年から2002年にかけてのお話です。


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【はじめに】
・機種名に併記されている「#130」などの文字は通算入手台数を表します。入手マシン及び台数の完全なリストは こちら をご参照ください。
・機種名に併記されている日付は、手元にマシンがやってきた日になります。購入日とは異なる場合があります。
・このお話に登場する機種のハードウェアスペックや販売時期などは私の記憶に基づいており、私の記憶違いや事実誤認による誤りも含まれている可能性があります。
■通称『鶴巻御所』の時代(神奈川県秦野市在住:1996-2000)
 私は主にNEC PC-98シリーズとSHARP X68000を主に使う生活を送っていた。SMPな自作マシンも作ったが、自作マシンは数台作ってすぐに飽きた。ほどなくしてハイエンドマシン技術者集団 SV補完委員会 に招聘された。
 SV補完委員会はNEC PC-98シリーズのサーバーマシン「SV-98」を個人で使うという共通項を持ち、さらにメンバーそれぞれが得意メーカー・ジャンルを活かすことにより長年活動している。私はこの団体で主に非Windows環境・非Intel環境・IBM/Lenovo及びDEC製品全般の担当をしている。
 NEC PC-98とX68000から自作PC/ATを経て、メインで使用するマシンがDEC(ディジタルイクイップメントコーポレーション、現在のヒューレット・パッカード)に落ち着くようになったのもこの時期だった。
 また、友人には古くからのコアなThinkPadユーザーもおり、だいぶ昔からThinkPadの話題はやりとりしていた。
 数多くのジャンク品で埋め尽くされるゴミ屋敷のような家をみて、友人たちは私の家を「鶴巻御所」あるいは「ジャンク部屋」と呼んでいた。
#063 99/06/05 IBM Aptiva 2168-S50

 始めて手に入れたIBMのマシン。Webチャットで知り合った友人に譲っていただいた。
 IBMとDECのマシンは憧れだったので、とてもうれしかった。
 神奈川県秦野市には約4年住んで引っ越した。
■通称『宮崎電算センター』の時代(千葉県千葉市在住:2000-2001)
 神奈川を去った私は当時交際していた人の家の近くに家を借り、そこから通勤していた。蘇我から渋谷までの長い通勤だった。
 職場ではIBMのRISCマシン「RS/6000」が使われていた。写真でしかみたことのなかったRS/6000の現物を見たのはこれが初めてだった。
#126 00/09/16 IBM RS/6000 43P 7248-132
#127 00/09/17 IBM RS/6000 43P 7248-132

 秋葉原のジャンク屋で「”Windowsの動かない”IBMのPC」として捨て値で売られていたので、2日に分けて買ってきたもの。
 外見は古いIBM PCのような外観だが、M/Tを見るとIBM PCではないことがわかる。当時はRS/6000をチェックできる店もほとんどなく、RS/6000は買いたい放題だった。
 当時私は、AIXのシステム上で開発を行うプログラマーだった。親しい友人には「仕事のためにマシンを買うなど言語同断」だと強く反対されたが言うこと聞かずに購入を決行。現在AIXシステムのエンジニアとして飯を食べられるようになったきっかけの一つでもある。あの時このマシンを購入していたなかったら、今の私はいなかっただろう。
 このRS/6000はPowerPC 604 133MHzを搭載していた。アップグレードプロセッサー用ソケットが別途用意されており、そこにアップグレードプロセッサーを装着することでPowerPC 604e 166MHzまでのアップグレードが可能だった。32MBのSIMMを6本挿すことで最大192MBのメモリーを実装できた。
 ジャンク屋の店主は「Windowsが動かない」を言っていたが、PowerPC版WindowsNTを使えばNT4.0 SP1までは動作させることができる。実際にNT4/PPCで使ったが、ATAPI.sysに不具合があり、標準内蔵のATAPIのCD-ROMが使えなかったり、SP1以降何も更新がないだけでなく、当然ながらx86バイナリーは実行できないためにNT環境では本当に鉄くずだった。
 この機械を本当に生かすためにはIBMのUnixであるAIXが必要。私はこの機械の入手直後にAIXを入手した。
#130 00/10/29 IBM RS/6000 43P 7248-132

 これもまた捨て値のRS/6000を買ってきたもの。RS/6000に興味を持ち出してからはMCAなRS/6000もたくさん見つけたが、使いやすさと実際の性能を考えると43PのようなPCI/ISAマシンに絞った方が望ましいと考え、43P以降のマシンだけに手を出した。
 この機体は状態がもっともよかったのできちんとメンテナンスしてAIXの学習用に使った。メモリーはジャンク屋で買ってきた32MBのSIMMで上限の192MBに、HDDもSCSIの2GBを2台載せた。
#135 00/12/09 IBM RS/6000 Workgroup Server 7024 E30

 AIXが使えるようになってからは、より高速な、より拡張性に富んだマシンを探すようになった。当時の秋葉原のジャンク屋には店側が持て余したRS/6000が店の端で悲惨な扱いを受けており、このE30に至ってはPowerPC搭載と言うだけでMacの中古店に並んでいたものだが、店側でもチェックができず困っていたいたものを引き取ってきた。
 この機械はフルタワー型の割と大きな機体で、拡張性は十分あった。当時のRS/6000シリーズの並列演算最上位モデル「RS/6000 SP」のCWS(コントロールワークステーション)として使われていた機種でもある。脱線するが、RS/6000 SPはチェスでガルリ・カスパロフに勝ったスーパーコンピューター「DeepBlue」のベースになった並列演算機である。
 当時の私は安月給でこき使われて生活に窮することもしばしばあった。結局この機種は完全にチェックしてオークションに出して生活費になって消えた。この機械の売却が意外なコネクションを作り出すことになる。この機械を落札したのはなんと今の会社の社長。この機械の取引は家が近いからという理由で対面取引を行ったのだが、彼とはそれが縁で知り合った。彼はその後度々私の出品物を落札し、その度に対面取引をし、一緒に食事をしたりして仲の良い友人となった。オークションから生まれた友情、その架け橋になったのがこのRS/6000であった。
#138 01/02/16 IBM RS/6000 43P 7043-140 [PPC604e-332MHz]

 43Pシリーズの7248-132の後継ワークステーションモデルとして発売されたのがこのmodel 140だった。通称は43P-140。
 当時勤務していた会社の開発マシンはこの機種を使っていた。332MHzという速度は鬼のように高速だった。
 そこで私は奮発して購入してこの機械を自分で使った。しかしこの機械は後に手術費用をまかなうために売却してしまった。
 メモリーは入手の面倒なEDO-DIMM、売却の際は動作するだけのメモリーを除いてすべて引っこ抜いて売った。
#141 01/03/04 IBM IntelliStation M Pro
 写真もなく、どこに売却したのかも記憶にない。購入した履歴は残っているのだが。。。
#144 01/03/12 IBM RS/6000 Workgroup Server 7025 F50

 この時期には秋葉原でもUnixサーバーを専門に扱う店舗がいくつも揃い始めた。そのうちの1店舗にはよく顔を出すようになっていて当時の店長と店員と親しくなった。ある日、パスワードがかかっていてどうにもできないF50が大量に入荷して困っていたその店舗で「パスワードのはずしかたを教えるから、外せたら技術料としてこのうちの1台を安く売ってくれ」と交渉し、この1台を格安で出してもらった。
 このモデルはSMPにも対応したかなりパワフルなモデルで、重さも重量級だった。メモリーは入手の面倒なEDO-DIMMで、増設に難儀した。
 今となっては当たり前のサービスプロセッサー(電源OFF時でも管理可能な専用管理プロセッサー)もこの機種ではオプション扱いだった。
 このモデルも生活に窮した際に今の社長(当時はまだ友人)に売ってしまった。
■通称『大森台電算センター』の時代(千葉県千葉市在住:2001-2002)
 この後、2001年7月に数百メートル離れた大森台駅近くのアパートに引っ越した後、私は結婚した。
 これまでの劣悪な労働条件のしわ寄せで、体調を崩し激しい腹痛に見舞われた。救急病院に行って薬をもらって数日、痛みと熱は一向に引かず、それでも無理して仕事に行った。職場でもう耐えられなくなった私は、近場の病院に行って再検査。血液中からは炎症を示す大量の白血球が検出され、レントゲンでは腹部に数多くの丸い影が映し出された。救急病院の判断ミスを信じ込んだがために腹膜組織の多くが壊死した末期の腹膜炎であった。紹介状を握り締めて千葉の大きな病院に向かった私は即日割腹手術をうけそのまま入院。壊死した腹膜組織と、それに伴いダメになっていた大腸の一部と盲腸が切除された。腹部には15cmほどの大きな傷痕が残った。
 結果として、新婚生活を病院で過ごすという悲惨な状況になった。
#158 01/09/11 IBM RS/6000 43P 7043-140 [PPC604e-233MHz]
 入院/手術費用がかさんだため、補填をすべくマシンを売ったりした。
 妻はしばらくしてから家での食事を用意しなくなり、一日三色を外食で済まさなければいけない状況になった。最終的に食事代もくれなくなった。
 妻は海外旅行やジャニーズの追っかけなど豪遊したり新車を購入したりしていたが、私は一日三食を安い外食(主にパンなど)で済まして定期券を買ったら赤字になる程度の小遣いしかもらえなかった。飲みにいくどころか、仕事に必要な参考書すら買えないという有様だった。
 そこで、ジャンクのRS/6000を仕入れて修理して、カスタマイズして販売して利益を得ることにした。
 振込先を普段使用している口座にすると妻に搾取されるので、別に口座をいくつか作った。
 この機械もカスタマイズして良い値で売れた。
 妻は私がこうして自分の小遣いを自分で稼ぐのが大変気に入らなかったらしく、何かにつけいつも愚痴と嫌味を言われ続けられた。
#161 01/10/05 IBM Netfinity 5000 8659-31Y [800MHz 2way]

 当時の私も今と同様にノートPCからIAサーバー、RISCマシン、ディスクストレージまで同一ベンダーで揃えることが多かった。ノートはHiNoteシリーズを愛用し、最終モデルのDIGITAL HiNote Ultra 2000を買って使っていたし、デスクトップはDECの薄型クライアントマシンCerebris FXを経てDIGITAL PC5510を強化して使っていた。サーバーは4CPUのDIGITAL Prioris ZX 6000にP2ODPを4個搭載して使い、ディスクアレイにはStorageWorks、スイッチにDECswitch、RISCマシンはAlphaServerとAlphaStation、管理ツールはDEC ServerWorksを使うなど徹底しており、逆にIBM RS/6000があること自体がおかしいくらいの状況だった。
 RISCマシンはDigitalUNIX/COMPAQ Tru64UNIXの動作するDEC AlphaシリーズとIBM AIXの動作するRS/6000をを併用していた。DEC Alphaシリーズは量子化学を専攻していたときに分子軌道計算で使用したのがきっかけで慣れ親しんだため個人でも使い続けていた。
 だが、栄光を極めたDECも1998年にCOMPAQに買収され、DECブランドの新しいマシンはもう出なくなってしまった。私はDECの機械とそのデザインが好きだったのであり、COMPAQのマシンが好きだった訳ではない。AlphaマシンはDECの思想とデザインを継承してCOMPAQで生産されたから買いつづけたが、IAマシンはそうではなかった。私はCOMPAQを見限った。
 そこで、私はメインフレームからノートPC、OSを含めた大量の自社製品を擁するIBMの製品に乗り換えることにした。
 そして購入したのがIBMのミドルレンジIAサーバーのNetfinity5000。しかし私は何を思ったのかこの機械をサーバーでは使わず、デスクトップクライアントとして使った。オンボードVRMの制限がありプロセッサーのアップグレードに難儀した機種だが、本末転倒な手を駆使してPentiumIII-800MHzを載せ、ビデオカードを載せ、サウンドカードを載せ、悲惨な使い方をした。
 一旦はデスクトップ用途を退いて遊休マシンとなったが、後にDEC Prioris ZXを引退させるときにNT4 PDCになり、その後に購入した後継のNetfinity5100に移行するまでかなり長い間サーバーマシンとして稼働した。
 ドメインコントローラーを退いた後は、HMX.NETの公開サーバーとして余生を送るべく外に出されたが、セットアップ中に壊れてしまいそのまま帰らぬマシンとなった。
#163 01/10/22 IBM RS/6000 43P 7043-140 [PPC604e-233MHz]

 私の命をつなぐために売られていった。
#164 01/10/22 IBM RS/6000 43P 7043-140 [PPC604e-200MHz]
 私の命をつなぐために売られていった。
#171 01/12/15 IBM RS/6000 7025-F40 [PPC604e-233 2way]

 左側の白い機械が7025-F40。右側の黒い機械は後で登場する7043-260。
 #144で出てきたF50を今の社長(当時はまだ友人)に売ってしまい、IBMから送られてきたAIX5.1を使うマシンとして新しく購入。
 604e 233MHzの2CPU構成だったが、AIX5.1では荷が重すぎたが頑張って使った。
 この機械には大量にディスクが搭載されていて、それらのディスクはSSA(シリアルストレージアーキテクチャ)ディスクだった。PCIバスにはSSAアダプターが接続されていた。SSAは仕事で使ったことあったが、この機械のおかげでSSAに対する理解を深めることができた。
 2009年09月まで手元に保有。江戸川中央から両国に引っ越す際にやむなく処分した。
#176 02/01/27 IBM RS/6000 43P 7248-133

 このRS/6000にはGUIベースのSMS(System Management Service)という旧ThinkPadのBIOS画面を彷彿させる設定画面と、SMSディスケットから起動するCUI版版があった。この画面は後者のもの。
 高速なModel140はオークションでそれなりに高額な値段で出していたが、こちらのModel133は学習用マシンとして安価な価格設定で売ったこともあり落札者に喜ばれた。
#179 02/02/03 IBM RS/6000 43P 7248-133

 7248-132にはクロック違いのモデル(100/120/133)以外に、エンブレムの異なるモデルが存在した。一つはIBM PCと同じ楕円のエンブレムにシンプルな青いIBMロゴが、もう一つは茶色のエンブレムに「IBM RISC System/6000 43P-133」のロゴが印刷されていた。パーソナル向けに出荷されたものとビジネス向けに出荷されたものの違いなのか、製造時期によるものかはよくわからない。これはRS/6000ロゴのエンブレムがつけられたモデル。DDS-2も内臓されており、この機体はかなり高額で引き取られていった。
#184 02/04/20 IBM RS/6000 43P 7043-140 [PPC604e-233MHz]
 このあたりから入手した機械にはModel140の筐体ロゴに変更が入る。丸いIBMエンブレムから、Netfinityのような青い大きなIBMロゴだけとなった。筐体には「RS/6000 Model140」の文字も入るようになった。「RISC System/6000」から名称変更された後のモデルだろう。
 この機械も例外なく売られていった。
#188 02/06/29 IBM RS/6000 43P 7043-140 [PPC604e-332MHz]

 売却予定だったが、久々の332MHzモデルだったので自分のものにした。
 メモリーは今まで溜め込んだEDO-DIMMをたんまり搭載、拡張カードも大量に挿した。純正ではないがDDS装置も入れてバックアップできるようにした。
 小型で融通が利くので後継もModel150が大量に手に入るまで使った。最後は同業者の友人に格安で譲った。
#189 02/06/29 IBM WorkPad c3 8602-50J
#222 03/06/08 IBM WorkPad c3 8602-50J

 生まれて始めて購入したPDA。Palm搭載機を購入したのは今の社長(当時は友人)の影響が大きい。一台目はアキバのジャンク屋のワゴンセールで買ったもの、2台目はネットで知り合った友人に未使用品をいただいた。WorkPad c3はCPUも遅く、おまけに液晶は白黒。今のPDAから考えるとゴミみたいな容量のメモリーしかなかったが、純粋にスケジュールとToDo、連絡先とメモを扱うのであればこれで必要十分だったし、容量をちょっと無駄にすれば白黒ながらも動画再生環境を作ることもできた。遅いCPUクロックはバッテリーの持続時間と引きかえにクロックアップソフトで超高速化ができた。RS/6000のコンフィギュレーターのPalm版を入れることによってRS/6000の構成を調べることができた。グラフィティは慣れるまで大変だったが、慣れたらグラフィティの使えないPDAは使えないくらいにまでなった。グラフィティ+POBOXの組み合わせで、まるで紙に文字を書くかのように文字入力できたというのも素晴らしい。
 WorkPadと連携するスケジューラーソフトは非常に使い勝手がよく、このスケジューラーとPalmの組み合わせは未だに最強だと思っている。
 WorkPad c3はいつも持ち歩いた。思いついたことを書き留めることができた。妻と離婚の話をしたときの会話メモに使ったのもWorkPadだったし、家に居づらいときの放浪の伴になってくれたのもWorkPadだった。私が一番困窮していた時代を一緒に過ごしたのが一台目のWorkPadだった。
 やがて、hp iPaqで安価なPDAのh1920とh1937が登場、2台とも買った。大きさと重量はWorkPadと変わらないが機能は雲泥の差だった。
 でも、この2台のiPaqはWorkPadの後継にはなり得なかった。スケジュールとToDo、連絡先とメモ、そしてスケジューラーソフトはWorkPad(というかPalm)の方が何十倍も私にとって快適だったからだ。
 この頃、身内では盛んに高性能なPDAを買うのが流行した。巨大な石ころのようなPDAを握って動画を再生させて喜んでいたユーザーもいた。使い道は人それぞれだが、主にPIM(Personal Information Management)としてPDAを使用していた私にとっては、PDAの高機能マルチメディアデバイス化はまったく興味のないことであった。あらゆることをやりたければまともなPCを持ち歩けば良いというのが私のポリシーでもあった。以降いくつもPDAを入手したが、結局自分に合わず、WorkPadを使いつづけた。その後同期前に事故でデータを失ってしまってからはWorkPadを使うのをやめ、スケジュール管理はIBMからもらった紙の手帳でするというアナログな形に逆行してしまった。再び電子的なPIMを使うようになるのはこれよりずっと後のAndroid端末・docomo HT-03Aの登場まで待たなければならなかった。
 2台のWorkPadは2009年09月の引越の際に両国に持ってきたが、辛い昔の記憶と決別すべく断腸の思いで処分した。
 2002年春以降は家庭も仕事も地獄だった。
 居場所がなかった。家に帰るのがもはや恐怖だった。
 友人宅を転々としたり、カプセルホテルに泊まったり、職場に泊まったり、ラブホに一人で泊まったりした。
 家に帰ってこないのを浮気していると疑われ、安月給と罵られ、男としての尊厳を地に墜とすようなこともいわれ、生き地獄だった。
 離婚を切り出したのは妻の方だった。
 数百万あったと思われる貯金は全部奪われた。
 引越し前日当日、私は見知らぬ男性の乗った車に乗り込んで出かける妻の姿を見た。
 そういうことだったのか。
■通称『江戸川中央データセンター』の時代(東京都江戸川区在住:2002-2009)
 2002年9月16日、離婚成立。千葉市中央区から江戸川区中央へ引越し完了。
 私はこの日を「インデペンデンス・デイ」と呼び、親しい友人達を新居に招いて独立記念日を祝った。
#190 02/07/?? IBM RS/6000 43P 7043-140 [PPC604e-200MHz]
#193 02/09/16 IBM RS/6000 43P 7043-140 [PPC604e-200MHz]
 生活の足しにしようと思い購入したが、プロセッサーやVRMが抜かれているなど悲惨な状態だった。
 プロセッサーやVRMなどを買ってきて動くようにはしたが、ちょうどこの時期は離婚のゴタゴタと引越しのゴタゴタに見舞われて、売る時期を逃して不良債権化してしまった。しばらくテーブルとして使っていたが、飲み会のときにビールをこぼされたりしてもはやダメだろうと思い、部屋の模様替えの際に処分した。
#195 02/09/21 IBM RS/6000 43P 7043-240 [PPC604e-166MHz 1way]

 この頃には各所にコネクションが出来上がっており、RS/6000の話題が私の元に集まるようになっていた。その時に薦められて買ったのがこの機種。外見とサイズはModel140と同じで中身が大幅に違っており、SMPマシンであったし64-bit PCIも兼ね備えていた。
 憧れの機種だったので購入したが、増設プロセッサーの入手が難しかったのと、実質クロックが低かったので実用はせず、いじって遊んで売却した。
#— 2002/09/29 IBM 7137 Disk Array Subsystem

 RS/6000用HVD SCSI専用ディスク。金に困ったときに弊社の社長(当時は友人)に売った。
#199 02/10/11 IBM Netfinity 5500 8660-51X [Katmai 550MHz 2way]

 一緒の職場で働いた友人から譲ってもらったもの。彼は当時IBMのNetfinityばかり購入して使っていた猛者だった。
 この機械はPentiumIIIに載せ替えて使っていた。オンボードにServeRAIDが実装されており、本体だけでRAID5が構築できた。
 また、拡張ストレージ用ベイが最下段にあり、そこにEXP300などの拡張ストレージを挿入して小さなラックのように使うこともできた。プラットフォームアップグレードとしてPentiumIII Xeonを4個まで載せられるCPUケージがオプションで用意されていたというのも大きい。Xeon用のCPUケージとVRMは入手したがCPUの手配ができず、結局この機体はネットで知り合った友人に一式まとめて譲渡した。
#200 02/10/14 IBM ThinkPad iSeties s30 2639-43J

 メインのノートPCにDIGITAL HiNote Ultra 2000(dHU2k)を購入して使い始めたのは2000年。京葉線の中はもちろん京葉線沿線で下車してベンチに座ってメールを送信したり、場所がないときはかなり無理して片手で持って野外で使ったこともあった。今で言うと広義の「ストリートコンピューティング」になるのだろうが、いまから10年ほど前の私は32kbpsのAir-Hを使いいつでもどこでもネットにつないで仕事をしたものだった。
 dHU2kを使い続けていた私は2002年になってもまだWindows98を使っていた。dHU2kのドッキングステーションや各種デバイスドライバーの都合で、Windows2000への移行ができなかったのだ。そもそもdHU2kはWindows98の導入の際にデバイスドライバーの適用順序(これはマニュアルに記載されている)を間違えただけでデバイスマネージャーでビックリマークが消えないというほどのクセを持つ機種でもあった。
 dHU2kはThinkPad T4xシリーズ並に大きい。正直この大きさでストリートコンピューティングは(実際にしていたけれども)正直向かない。新しいWindowsにも対応できない。何よりも直系の後継機種はCOMPAQ印のARMADA6500 Ultra(設計はDEC、DEC吸収後COMPAQブランドでリリースされた)で終わりになるなど将来はなかった。
 自分の使うベンダーをIBMとした私は、ノートPCをIBM ThinkPadに替えることにした。
 実はこの時点で私はThinkPadが正直好きではなかった。デザインではなくポインティングデバイスがトラックポイントというのは手がつるので当時はいただけなかった。汗っかきの私にはカーソルが吹っ飛ぶタッチパッドも嫌いだった。かつてのHiNoteのようにトラックボール内蔵なら最高なんだが、そういった選択肢はThinkPadには実質(220以外)ない。
 買う前に悩むより買って悩んだ方がいい。dHU2kの後継として使うノートとして、私は友人からピアノブラックのIBM ThinkPad iSeties s30譲ってもらった。
 譲ってもらったis30はFull Dayバッテリーがや純正CD-ROM、FDDなど一通りのものが揃っていた。状態もかなりよく、天板には傷はほとんどなかった。友人にThinkPad好きなIBM社員がいて、その人がis30の型紙を使って天板に貼り付けるプロテクターを作って貼ってくれた。これで傷の問題は解決。
 私は当時「Whistler(後のWindows 2003/XP)」のベータプログラムに参加していたので配布されたWindows.NET Serverを入れた。
 is30はチップセットが440MXでメモリーが256MB以上搭載できないなど制限も多かった。しかしそれも許せるほどの可搬性は大変な魅力であった。気がつくとトラックポイントで指がつる症状はもうなくなっていた。むしろ、トラックポイントでないと操作できないまで依存するようになった。
 学生時代に使っていたUnixワークステーションがANSI配列だったというのもあり、自分のPCではUSキー配列のマシンを使うことが大方。dHU2kでUSキーボードを使っていた私はUSキーボードでないと入力ができない。is30をUS配列にすべく五反田のPC DOCKに持ち込み、USキーボードに交換してもらった。
 2003年からはLinuxを使うようになりis30はLinuxで酷使された。片手で余裕で持てる重さは電車の中、喫茶店、路上問わず大活躍した。後述のThinkPad 570Eを購入するまでモバイル用途のThinkPadとして活用した。
 is30はThinkPadの歴史の中でも特筆すべき機種なので2010年初頭まで残しておいたが、荷物削減のために古くからの友人に一式まとめて譲った。ちなみにこの友人は私が他に所持していたもう一台のis30も私から購入してくださっている。
 最後は大切に使ってくれる方の元にいって良かったと思っている。
#201 02/10/15 IBM ThinkPad iSeries 1124

 写真右側。ThinkPad Blackではない邪道なThinkPad。ThinkPad 240の亜種。
 性能云々より外観からしてイヤだった。
 ちなみにこの写真は当時仕事で障害対応をするときの7つ道具だった。
 仕事は相変わらず安月給で過酷な労働を強いられていた。過去に手術を行ったのも仕事のしすぎが原因であった。
 ダメな妻と離婚して自由を手に入れたが、自分に向かない仕事を強要されつづけて徐々に私の体は心身ともに蝕まれていた。
 私は気がつかないまま仕事を続けた。
#206 02/11/15 RIOS Chandra2 Clavius NP40J


 ThinkPad 235のオリジナルであるRIOS Clavius。当時の秋葉原には中古のこの機種が大量に流通し、親しい仲間みんなでこぞって買って遊んだ。5~6人がみんなClaviusを持って喫茶店(ベローチェ、現在はアキバヨドバシに併設)のテーブルを囲む姿は異様だったかもしれない。
 そういう時期に書いたレビュー記事はこちら。
 「珠玉の名機たち」連載第一回◆RIOS Clavius NP40J Product Review.
 元々MMX166MHzのモデル。これを私ははんだごてを入れて逓倍率を変更して266MHzに、さらにベースクロックを66MHzから75MHzにクロックアップする改造で300MHz駆動を実現した。相当な発熱をするようになったので、ヒートシンクをつけたりするなどの放熱の仕組みをつけた。
 この機械は両国に引っ越してきた際に一緒に持ってきたが、しばらく死蔵していたので有効利用してくれる方にお譲りした。