100台のIBM/Lenovoマシン(3)

 今までに入手したコンピューターは2010年4月現在でおよそ300台。入手したコンピューターの多くに思い出があります。今回は私とIBM/Lenovoマシンにまつわる思い出を何回かに分けて書いてみようかと思います。第3回は2003年から2005年にかけてのお話です。


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【はじめに】
・機種名に併記されている「#130」などの文字は通算入手台数を表します。入手マシン及び台数の完全なリストは こちら をご参照ください。
・機種名に併記されている日付は、手元にマシンがやってきた日になります。購入日とは異なる場合があります。
・このお話に登場する機種のハードウェアスペックや販売時期などは私の記憶に基づいており、私の記憶違いや事実誤認による誤りも含まれている可能性があります。
■通称『江戸川中央データセンター』の時代(東京都江戸川区在住:2002-2009)
 劣悪な労働環境は私の心身を少しずつ蝕んでいった。
 私は当時勤務していた会社を辞めようと思い、当時の社長と上司とで話し合いを持った。
 過去に待遇改善を求めていたが全く改善しないどころか逆行していた。こういう状況ではモチベーションを保ったまま勤務などできないし、また体をおかしくしてしまう。体どころではない、頭までおかしくなってしまう。
 私は引き止められた。交渉の結果、私は課長に相当する役職につくことになった。給料も今までより上がった。アプリ開発だけでなくインフラ構築の仕事も受注するだろうと言われた。
 私を採用してくれた恩義もあるし、多少は改善してくれるだろうという期待もあった。当時の私はそういうことすら分からず、引き止められて会社に残った。
 今だから言えるが、これは典型的な転職失敗パターンであった。役職が上がったことで逃げにくくなり、給料は見かけの額が上がっただけで残業代や各種手当てがバッサリなくなった。希望という不確定要素に対して過度に期待してしまったのが良くなかった。退職を決めてからの中途半端な人情も失敗だった。失敗談の代表となるような典型的な失敗だった。
やがて私はそれまで以上におかしくなってしまった。
#241 03/12/06 IBM ThinkPad R50p 1832-27J

 劣悪な労働環境によるストレスを解消すべく発注した直後に急性腸炎で入院。退院当日病院の帰りに引き取ってきたいわくのある機械。
 しかもこの機械、販売開始直後にネタでソフマップから取り寄せたので割引は一切利かず、税込522900円で買った。その時にもらった秋葉原電気祭りのスクラッチカードはなんと・・・。

 107枚!!!
こんだけもらっても300円が2本しか当たらなかったというどう考えてもネタな展開だった。
 Pentium-M 1.7GHz、FlexView UXGA液晶、RAM2GB、7200rpm 60GBのHDD、ATI Mobility FireGL T2 128,
DVDマルチドライブ。もう何から何まで至れり尽くせり、超ハイエンドなThinkPadだった。そして、私はこのR50pの初回起動で、なんとバックアップをとらずにプリロードのWindows XPをLinuxで消し去った。この出来事は各所の個人ニュースサイトで取り上げられ「HMXの中の人=ThinkPad最新機種のWindowsはOSSで潰す」という印象が生まれてしまった。もちろん、私がWindowsをLinuxで消すことに対して好意的ではない意見も頂いたが、Windowsユーザーがより高速で快適なマシンを買うのと同じようにLinuxを使っている私だって快適にLinux使いたいというのは、OSの差こそあれ同じことではないかと思った。また、Linuxで対応していないものや最適化されていない機能は作ったり改善すりゃいいだけのことで、なぜいろいろ言われるのかが理解出来なかった。自分が必要だから「ないものは、創る」というのはそんなにおかしいことなのだろうか。
 Linuxの搭載されたThinkPad R50p、これのおかげでLinuxを使うだけのただのエンドユーザーからコードを寄贈したりパッケージを提供するオープンソースエンジニアへのきっかけができた。幸か不幸か、LinuxとOSSまわりに時間を存分にかけられる時間ができてしまったのだ。

 2004年2月。会社の待遇と労働環境が指数関数的に悪化し、心身ともに限界にきて生活が荒れた。いや、限界は昨年末に入院した時にとっくにきていたのかもしれない。上司にメールで「助けてください」と救いを求めているにも関わらず、空気の読めない上司はなおも私に仕事を振り続けた。私はきちんと理由を申し上げ「この案件は受けられない」と保身に入ったが、上司は「大丈夫、僕も案件に入るから」といって結局ゴリ押しされた。案の定上司は案件には首も突っ込まず、ただ「どんな感じ?」と進捗を調べて文句をネチネチ言うだけ。睡眠障害が起こりまったく寝られなくなった。当然スケジュールは遅れて仕事の品質は下がり、上司にそれを追求された。それだけではなく、不眠が数日続いて家で倒れて休むという状況を繰り返した。私は事前に幾度となく危険信号を上司に伝えていたのに「僕は君がそういう状況になっているのは把握していなかった。事前に連絡してくれないと」と上司に問い詰められた。極めて理不尽な形で問い詰められた。
 上司と会議室でミーティングをしていた時、私は発狂して喚き回って気を失った(と後に上司から聞いた)。気がついたときは、自分は会議室にいたままだった。上司は目の前にいた。発狂して失神した私に対して何も対処してくれていないようだった。そして「○○(同僚の名前)も以前こういう風になったことあるから」と言った。「こいつ、人間として最低だな」私は殺意にも等しい怒りが沸き起こった。上司は「わかった、わかったから。もうコーディングはしなくていいから、他の作業・・・例えばテストやドキュメント整理を担当してもらえると助かる」と言った。無理な開発を推し進めた彼なりのフォローだったと良心的な解釈もできたが、もはやそんな言葉は信用できなかった。彼の言葉は逆に「お前は戦力外だ」と言われたと認識した。そこからは逆上のあまり何がどうなったのか未だに思い出せない。
 翌日、出社途中にパニックを起こして駅で倒れる。この日から休職、すぐに精神科と神経内科への通院が始まった。
 会社は3月いっぱいで退職した。診断書には「鬱」と書かれた。

 人間不信と対人恐怖症になり、引きこもった。時期を同じくして親族が亡くなり、精神的に更なる追い討ちをかけられた。
 電車が来たときに飛び込もうとしたら見知らぬ人に止められて怒られた。「死んだらやり直し効かないんだぞ!」。私は自殺未遂をしたのだとその時認識した。
 ThinkPadの前で泣き崩れる日もあった。今となっては思い出すのも嫌な時期だ。
 私はここから半年間、無職オープンソースエンジニアとしてパッケージ開発を行うようになる。
 ThinkPad R50pは後述のThinkPad T43pを購入後に弟がパソコン欲しいというので無料であげてしまった。後に弟に購入価格を教えたら目を白黒させて驚愕していた。
#— 04/05/27 IBM Netfinity EXP200 storage expansion unit 3530-1RU

 傷病手当と少ないながら退職金が出たが、頑張っても3ヶ月生活できるかできないかの金額で、仮に3ヶ月お金が持ったとしてもこの状況が完治する保証もなかった。この時は既に傷病手当てと退職金は底を尽こうとしていた。
 人間不信、引きこもり、パニック障害、対人恐怖症でハローワークに行きたくても行くことができなかった。とにかく、親しい人間と医師以外に合うのが恐ろしくて失業手当の手続きも出来なかった。貯金を切り崩しながら生活をしたが、業者をやっている親しい友人がお見舞いも兼ねて少し仕事を回してくれたので生活が幾分楽になった。お金のない私に対して、開発や検証に必要な機械などの環境を無償で貸してくれたり譲ってくれたりもした。開発や作業に集中することで自殺未遂を繰り返すことがなかったのは彼ら友人のおかげだった。
 このEXP200ストレージ拡張ユニットは友人がお見舞いに持ってきてくれたものだ。IBM製品なら私が喜んでくれると思いわざわざ仕入れてくれたらしい。ありがたかった。うれしかった。このストレージ拡張ユニットはしばらくいろいろな機種で使いまわした後、Netfinity 5500の下部ベイに差し込んで友人に譲渡した。
#251 04/06/10 IBM RS/6000 7026-H50
#— 2004/06/10 IBM 7133 Serial Disk System Model 020

 この7026-H50と7133シリアルディスクサブシステムも同時期に家にやってきた物だった。
 H50は筐体は先に登場したH70とほぼ同じで、CPUがPowerPC。200Vの使える友人の事務所で動作確認をして売却した。

 7133-020シリアルディスクサブシステムはシリアルストレージアーキテクチャー(SSA)という規格のディスクストレージで、ファイバーチャネルの遠い親戚でもある。接続はSSAで、専用のSSA RAIDアダプター(上記写真)というカードを使用して接続される。接続はノードとカードとディスク装置の内部配線が必ずループになるような接続をするため、配線設計に少々技術が必要。現在のファイバーチャネルのように簡単で扱いやすいストレージでないない。
 古いRS/6000やSystem pではこれを共有ディスクとして高可用性クラスターであるHACMPを構築するのだが、のちに私はこの7133とRS/6000 Model150を使ってHACMPを自宅に構築した。7133-020は2010年4月現在使用中である。
【お願い】
 7133には後継に黒い筐体の「7133-D40」というラック型のモデルがあります。もしこの記事をご覧の方で、不要となったディスクの入りの7133-D40を廃棄する予定の方がいましたら引き取らせて頂きますのでご連絡ください。
 精神科と神経内科に通う日々が続いた。
 薬を出してもらい、カウンセリングをうけた。先生は女の人で、時間をかけてよく耳を傾けてくれた。最初は会うのが怖かったが、私は先生を信頼するようになった。しかし、良くなってきたかと思うとまた悪くなる。仕事で受けた苦痛や過去の嫌なことがよぎって極度の緊張状態に陥り、恐怖のあまりに気が狂ってしまう。マイナートランキライザーやメジャートランキライザーも出してもらい、飲んだ。緊張状態や不安、恐怖心は取り除かれたが、やる気までなくなってしまう。いろいろと副作用もあった。辛かった。訳の分からないこともいろいろやった。

 気分が良いときはやる気がでたので、体を動かして機械を整理した。しかしまた悪くなって、この電子の城塞に籠もった。
 三歩進んで三歩下がる、そんな状況がしばらく続いた。完治までは相当時間がかかるだろうと感じた。
 完治しなくても、なんとかこの病気とうまく付き合えるようになって社会復帰出来ればいいなとおもった。
 私は見えない何かと戦っていた。それが何かは正常な思考が出来ない自分にはよく分からなかった。
 今の社長は昔RS/6000をオークションで取引したときからの友人である。彼は私が離婚したときや入院したとき、そして会社辞めたときも気にかけてくれた。
 自宅療養中に数社からお誘いがあった。こうして再就職の話を持ちかけていただいて、私は本当に幸せだと感じた。
 今の社長からも一緒に働かないかとお誘いがあった。彼から仕事の誘いがあったのは今回が初めてではない。いままでずっと誘われていたが、いろいろ理由があって辞退していた。こんなときに誘いの話をするのもあれですがと正直に前置きをした上で、彼はお誘いの連絡をしてきてくれた。彼は見かけによらず(笑)誠実な人である。
 彼と会って話した。彼は今の状況を正直に説明し、彼の夢物語ではない明確なビジョンを話してくれた。
 そして彼はこう言った。
 「弊社にはプロフェッショナルは必要ない。エキスパートが欲しい。エキスパートになるためであれば私は君にできるかぎりのことをしたいと考えている」
 きっかけはヤフオクだが、知り合って数年にもなり、信頼の置ける親友の一人である彼がどれだけ誠実なヒトかはよくわかっている。いままで数多く見てきた口だけで中身のない人間ではなく、この人の言うことは本心だと感じた。何よりも話す内容に根拠がある。
 AIXを中心としたインフラ系を得意とする彼の会社で、今までアプリケーション開発を専門にやってきて、AIXもLinuxも実務経験がゼロに等しい趣味レベルの技術しかない当時の私を採用することは非常に高いリスクがあったと思う。でも、その時点での私を評価し、まだ見えない将来性に賭けてくれた彼の決断に心動かされた。
 私は彼と一緒に働く決意をした。
#— 04/07/15 RIOS Chandra NP30J修理

 7月、友人が入手した初代Chandraが壊れたというので、彼の仕事場に遊びに行ったついでに修理した。
 ChandraはClaviusに比べるとマシンの厚みが1mm薄い。Claviusが1mm分厚いのはThinkPadとしての最低ラインをパスするレベルの筐体強度にするためだったのだろう。比較するとClaviusにはChandraでは見られない強化がいくつも施されていることが分かった。
 彼は、無二のDECマシン好きの成年マンガ家で私のよき親友である。彼がデビューする前からで付き合いも長い。彼もまた私がおかしくなる前から気にかけてくれた一人である。私が辛いときは一緒に飲みや食事に付き合ってくれて話を聞いてくれた。DECがなくなってからは彼もまたIBM製品に乗り換えたユーザーでもあった。
 彼とは今でもよくつるんでバーで明け方まで飲み明かしたりするなど相変わらずの付き合いだ。
 月刊アスキーの取材を受けたのもこの頃だった。
 知らない人と会って話をするのは緊張したが、実際に会って話すと話が止まらなくなった。ここからの会話は載せないでくださいねと私が釘さしたあとのみんなの会話がヤバすぎてよかったw
 この年の月刊アスキー9月号には人気連載記事に私の家「江戸川中央データセンター」のことが2ページにわたって掲載された。
 8月末には完治まではいかないが症状もほとんどなくなり、担当するお客様のプロジェクトで面接が行われた。プロジェクトマネージャーはインフラ経験のない私に「どちらかといういうよりは、むしろアプリ開発向きの方では?」と難色を示したが、同席した現場のリーダーが私に興味を持ってくれて猛烈にプッシュしてくれた。そのやりとりをみて自分を必要としてこんなにプッシュしてくれる人もいるんだとうれしくなった。結果、私はそのプロジェクトに参画することとなった。
 当時の業務経歴書を持って他の構築プロジェクトにいったら間違いなく取ってもらえなかっただろう。私の業務経歴書のそれほどアプリ開発一色の内容だった。
#254 04/09/03 IBM ThinkPad X31 2672-PHJ

 プロジェクトではPCの持ち込みを許可されたので、最初の2日間はThinkPad R50pを持ち込んだ。持ち込んで2日目、こんな重いものを持って出勤するのが辛くなった。かつてThinkPad A22pやDigital HiNote Ultra2kを持ち歩いていたときとは状況が異なっていた。ぶら下げて歩く時間が長すぎて辛い。私はプロジェクト参画2日目の帰りに貯金をまた切り崩し、秋葉原のニッシンパルでThinkPad X31を買ってきて翌日から使い始めた。モデルはPHJなので、X31ラインでは最上位のモデルだ。前にモバイルで使っていたThinkPad 570Eの役割をこの機械が担うことになった。
 OSは当然のようにLinux、キーボードもUSキーボードに交換。どうしてもWindowsを使わなければならないケースはVMware上にWindowsServer2003の環境を作って対応した。このWindows環境には大量の管理ツールが導入され、結果としてPCの環境移行を極めて簡単にすることとなった。
 このX31は何度もぶつけたり落としたりしたがびくともせず、ThinkPadの頑丈さを証明する機種となった。再就職直後のお金のないときに無理して買ったこの機械で本体価格の何十倍も稼ぎを出した。ところがこの一年半後、酷使しすぎたこの機械はメモリーとHDD不良でまともに動作しなくなり、出たばかりのCoreDuo搭載の新シリーズThinkPad X60に買い換えた。X60が到着するまでの間はThinkPad 570Eを引っ張り出してきて使った。
 部品不良で稼働しなくなったこのX31は該当部品を交換して問題ないことを確認してから、友人に譲渡した。
 職場にはThinkPadを開発出身の方と一緒にAIXシステムの仕事をした。
 彼からは現場ならではの泥臭いThinkPad開発秘話を聞いたり、「ThinkPad○○の××部分は私が開発したんですよ」とか様々な情報を提供してくれたり、興味深い様々なものを見せていただいた。定時過ぎて時間があるとはんだごて持って他の人のThinkPadの修理もしていた。自分が使ってきたThinkPadの一部を開発してきた神様がそこいた。
 私はこの仕事で初めて自分の身長よりも高い機械の相手をすることになった。
 それは、IBMのPOWER4搭載ハイエンドUnixサーバー「Regatta」だった。
#255 04/09/23 IBM RS/6000 7248-132
 私が一番最初に購入した思い出の「マイファーストRS/6000」。エンブレムが「RISC System/6000」とかかれたモデル。
 オークションで非常に安く出ていたので、懐かしくなって落札。古いAIXをいれてみたり、WindowsNT/PPCをいれてみたりして、なにをするわけでなくちょこちょこいじって遊んでは、最初にRS/6000に出会ったころの懐かしい気分に浸った。
 思い入れのあるマシンだったが、5年後江戸川中央から両国に引っ越す際にやむなく処分した。
#256 04/10/17 IBM Netfinity 5100 8658-11Y [1GHz 2way]

 この時の自宅PDCは既出のNetfinity 5000。ディスクも逼迫してきたしDLTが内蔵出来ないので買い替え。ネットで知り合った方に譲っていただいた。プロセッサーを1GHz x2に交換し、大容量ディスクとDLTを内蔵させた。ディスクはシステム領域をミラーリング、データ領域をRAID5とした。OSは当初はNT4で使用していたが、OSの保守切れが間近だったので、NT4からW2k3へのインプレースアップグレードを実施。
 PDCとファイルサーバーを兼ねたこの機械は非常に満足な働きをしてくれたが、実は深刻な問題を孕んでいた。中古が故に障害が発生した際に保証が受けられない。ディスクも古いモデルな上ディスクの予備(オフラインスペアディスク)もないから、ディスク障害を起こした場合に同一ディスクの中古を秋葉原に探しにいかなければならないなど、様々な問題があった。当時の私はそんなことは一切気にせず使用していたが、一年後の2005年9月に内蔵HDD1台に障害が発生。既に機能試験中だったIBM xSeries 346を後継機種とすべく機能を委譲して灯を落とされた。
 移行完了後にNetfinity5100は友人の元に里子に出された。
 このIBM Netfinity 5100の内蔵ディスク障害を経験してからはよほどのことがない限りは中古を避け、新品をビジネスパートナー経由で購入するようになった。
 Netfinity 5100は私が購入したNetfinityブランド最後の機種となった。
#— 04/11/14 ZERO HALLIBURTON × IBM (ThinkDog Version:CEM-ASC)

 ThinkPadマニアなビジネスマン垂涎のアイテム、「セロ・ハリバートン×IBM(ThinkDog Version:CEM-ASC)」。予約して購入。
 素材は超ジュラルミン(アルミニウム2024)、軽くて丈夫な素材だ。ゼロ・ハリバートンの機能的なデザインは、使い勝手の良さをデザインに反映させたThinkPadに通じるモノがあるように思える。
 インナーはThinkPadのトラックポイントに使われている赤のPANTONE No.032Cを使用。一般モデルのCEM-SIのインナーはブラックなので、ここは大きな差だ。
 このモデルは世界限定200本、購入当時の価格は税抜68800円。
 2001年のThinkPad iシリーズキャンペーンで登場し、以降ThinkPadのマスコットキャラになった犬のシルエットと、「ThinkDog Version」の刻印、そしてシリアルナンバーが刻印される。
 私のは僕のは「No.35」。ちなみに職場のIBMの人の前でこのアタッシェを開けたら「ゼロハリIBMコラボモデルだ!」と一発で見抜かれた。
#258 04/12/04 IBM Aptiva
 辞めた会社で廃棄するということだったので、前の会社に残っていた後輩に回送してもらった。
 再利用するところが皆無だったので業者に破砕して廃棄してもらった。
 この頃、IBMがPC事業をLenovoに売却するという情報が流れる。
 最初は非常にショックだった。DECがCOMPAQに買収されたとき以来のショックを受けた。
 ThinkPadはどうなるんだ? その他のThinkブランドはどうなるんだ? 今までの製品のサポート、今後のサポートはどうなるんだ? 製品の品質への影響は? 大和は? IBMのロゴは?
 Thinkブランド、特にThinkPadがなくなってしまったら、昔からの伝統が失われてしまったら、私は次どこのノートPCを使えばいいのだろうか。私は混乱した。
 やがて情報が出揃い、ThinkPadを含めたThinkブランドは継続、IBMロゴも当面健在、サポートはIBMが行うということが分かり一応は安心した。
#261 05/03/01 IBM ThinkCentre A50p 8195-CQJ

 業者の友人がThinkCentreのマザーボードだけ大量に入荷したらしく、そのうちの1枚を譲ってもらったので、Pentium4を買って適当な筐体に積めて自作「ThinkCentre」にしてみた。Linuxを入れて1000BASE-SXのLANカードのチェックをして遊んだ。その後イラストを描く友人にあげてしまった。
 アプリ屋の時とは大幅に異なりこのプロジェクトでは自分の裁量で仕事が出来たので、精神的にモチベーションが全然違った。忙しいけど仕事は楽しい、そんな状態が続いた。
 仕事は多忙を極めるようになり、労働時間に関して注意をうけることもあったが、人員が足りないのでとにかく仕事をした。
 仕事が忙しくて機械をいじっている暇はない。でも機械を使わないといけない。自分の望む仕様の機械が中古で出回っていない。そういう状態になった。
 自宅環境は1999年にWindows NT Server 4.0によるNTドメインの構築以降、その場その場で入手しやすい機器を導入し個別最適化を最優先にしたオープンシステムとして成長してきた。見方を変えれば、機器導入に関する方針は存在しているが、システム全体としては無秩序な増設/拡張により対応してきた環境であるともいえる。
 その結果、自宅において、システム全体のリソース利用効率の低下、管理の複雑化、設置スペースの減少といった弊害が発生した。特に保守の中古の機器で障害が発生した時にそれを感じた。
 自分がやりたいのは機械の保守ではなく、機械を使うこと。遊び目的のマシンならともかく、まともに使う機械をいじくり回して運用に載せられないとかでは目もあてられない。障害が起こる度に部品を探して買ってきて入れ替える作業に時間を費やすなら、それを自分以外の人にやってもらえばいい。自分でもできるが、なにも自分でやる必要性のないものはアウトソースしてしまえば、自分は本来やりたいことに集中できる。なんでもかんでも自分でやる必要などない、私は考えを変えた。
 そこで、私は保守のある新品のマシンを購入すべく、IBMビジネスパートナーに掛け合った。
#265 05/06/22 IBM e-server x346 8840-PJS

 IBMビジネスパートナー経由で新品購入。Xeon 3.0GHz/2MB x2(後に3.6GHz x2にアップグレード)、RAM8GB、146GB SCSIディスク x6、ServeRAID-7k、GbE x6、RSA-II、冗長電源、RSA-2、三年オンサイト保守。IBMポートフォリオモデルをさらにカスタマイズして納品してもらった。
 このx346はIBMビジネスパートナーにエクスプレスポートフォリオモデルをすぐに買うと伝えたら、もうすぐキャッシュ2MBモデルが登場するのでそれ待った方がいいとアドバイスを受けて選択した。
 PCサーバーは機能の少ないものばかりで、機能の多いx346は面食らった。ゆくゆくは現行のNetfinity5100から環境を移行する必要があるので環境移行テストを行っている最中、にNetfinity5100の内蔵HDDで障害が発生。急遽P2V Assistantを使ってディスクの中身をVMwareGSXに移行し、その後VMwareESX上に移行。以降約22000時間にわたり大量の電力を消費しつつ多くの仮想マシンを運用。そのうち障害によるシステム停止時間は308秒間だった。HDD破損の際はIBMが代替部品を用意してくれたのでシステム停止はなかった。
 保守切れに伴い、後継モデルのIBM System x3650を新品で購入、VMwareESXのイメージはそのままx3650に移行された。
 移行後はフォールバック環境としてしばらく待機させておいたが、x3650側で問題も発生しなかったので中古で売却した。約2年半にわたって稼働してくれて本当にありがとう。
#266 05/07/02 IBM e-server x300 8672-22X

 この頃、友人から「エミル・クロニクル・オンライン(ECO)」という新興MMORPGのオープンベータテストに誘われ、ゲームをプレイできるWindowsマシンがないので安価なデスクトップマシンという扱いで購入。
 非インテルチップセットでCeleron 800MHzを搭載する本当にどうしようもない安物マシン。メモリーはレジスタ付きが使えないので普通のECC付きを1GB増設、HDDはIDE200GB x2を、ビデオカードにRadeon 9200PCIを、CPUはPentiumIII 1GHzに交換したが誤ってC0コアでないものを買って失敗(この機械はC0コアより前のPentiumIII 1GHzは認識しない)して買いなおし、結果として本体は安かったが部品が高くついてしまった。
 この機械のIDEはビッグドライブ非対応で128GBの壁があり、せっかく購入した200GBのディスクの70GB程度が無駄になってしまう問題もあった。
 ECOは適当に遊ぶライトプレイヤーでいたが徐々にハマってしまい、このx300ではネトゲマシンとしてはふさわしくないのでこの後IntelliStation Z Proに買い換えてしまう。
 ネトゲマシンを引退したx300はx346の専用管理コンソールになったが、OSに使っていたWindows2000のサポート切れを懸念して後にx306mに買い換えた。
 この機械は2010年4月現在、ラックの目隠し蓋の役目だけのために廃棄せずにラックに詰めてある。
#267 05/08/20 IBM e-server x360 8686-4RX

 IBM XA-32チップセットを搭載したXeonMPマシン。XeonMPを4CPUまで搭載可能。購入時にはXeonMP1.4GHz/512KBが2個、RSAが搭載されていた。CPUをさらに上位のものに交換するために、別途高速かつ大容量キャッシュを搭載した上位XeonMPを4個とヒートシンクやVRMを揃えたが、マザーボードのリビジョンの都合でCPUを認識せず。大枚叩いて購入したにも関わらず結局一回だけVMwareP2Vイメージの中継サーバーで使用しただけで手放した。増設用のXeonMPはたまたま友人がXeonMPマシンのCPU増設するというので、彼がいい値段で引き取ってくれた。
 この機械はヤフオクで入札する際に8万円で入札するはずが桁を誤って80万円で入札、相手が粘ってしまったので法外な価格で落札してしまった。今考えたら当時中古でそれなりの値段したx345を買った方が良かったと激しく後悔した。これ以降(ソフトウェアのライセンス料金の兼ね合いなどもあり)XeonMPマシンには手を出すことをやめた。
 もともとこの機械はいじくって遊ぼうとして買っただけだったにも関わらず、このような形で結局大損して終わった。
 データセンターでx360が稼働しているのを見ると、この一件を思い出して苦笑してしまう。あの時私は若かったと。
#268 05/10/08 IBM IntelliStation Z Pro 6223-1F2

 多忙を極める私は稼いだ給料をゲームマシンにつぎ込み、新品ワークステーションもポンと一括で買うようになった。この機械もIBMビジネスパートナーから新品で購入。Xeon 3.0GHz/2MB x2、メモリー5GB。ビデオカードは最初にELSA GLADIAC 970 GTX Silent、次にELSA GLADIAC 979 GX2 1GBに差し替え、常にゲームを良いコンディションでプレイするようになった。
 液晶は当初は三菱の17インチのモニターだったが、

 Apple Cinema HD Display 23-inchを2枚買った。
 ゲームマシンとして活躍したこの機械は消費電力対効果の低いNetBurstマシンだったので、家の電気代節約のために3年保守の保守切れを待たずに引退。このゲームマシンはCore2QuadのIntelliStation M Proで置き換えられた。
 マシンは両国引越し前に売却。
#269 05/11/22 Lenovo/IBM ThinkPad T43p 2668-Q2J

 ThinkPadがLenovoになってから初めての製品。ThinkPad R50pを2年使ったので、その後継として新品で購入。若松でUSキーボード買って取り付けた。PenM-780 2.26GHz、メモリーは2GBに増設、ATI Mobility FireGL V3200搭載、7200rpm 100GBのHDD内蔵。2010年4月現在私が購入した中では最後のFlexView液晶のUXGAモデル(FlexView液晶モデルはT43p以降も存在)。この機種はDVDのIDEの接続がちょっと特殊で、それが原因でTurbolinux FujiでT43pでのみDMAが切れるという問題があり、解消するためのLinuxカーネルパッチを作成して回避した。
 Linux入れたりいろいろやったが、結局XPを入れてネトゲのサブアカウント操作用マシンにしてしまった。メインのLinuxマシンはThinkpad X60に統合した。
 T43pは両国のマンションに本格的に荷物が搬入される前のネット環境を支えてくれた。
 現在は内蔵バックアップバッテリー劣化で時刻が初期化されてしまう現象に悩まされているが、常時ACアダプターを接続することでそれを回避。相方が両国の家に帰ってきた時の専用マシンとして活躍している。